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抗体と免疫
抗体と免疫
抗体の量と免疫 それらは関係があるのか?

(下記の文は、アメリカのあるサイトに掲載されたレポートを引用し当方が訳したもので、日本語に適した意訳はしておりません。)

多くの人がワクチンを避けるようになったので、人々が注射の針に執着するように騙すために新しい方法を発明しなければならなくなった。注射針の痛みより常に前にいるようにするために(ワクチン接種を避けるために)、われわれは、“titer count”という言葉とその応用を今理解しないといけない。

ワクチンの拡散によって多くの人は、ワクチンの危険性に気付き、仕事を続けるため、看護、医学校に居座れるようにするために、疑問があり生命の危険の可能性があるワクチン注射に換わるもの探している。
結果として望まないが、必要とされているワクチン注射を避ける方法として、血流中にある"抗体の量"を測る試験ができることに興味を持ちだした。
そのような試験の要求が大きくなってきたので、われわれは、読者にとって、たぶんワクチンの必要性に置き換わる"抗体の量"の試験の背後にある論理的根拠のはっきりとした理解が重要だと感じた。
また、ちょうど高いレベルの抗体量は、病気に対する免疫には何の関係もないように、低いレベルの抗体量は、病気に感染しやすいということではないことを理解することが重要だ。

ワクチンは、病原体に対する抗体を作り出す能力があるから、接種許可を与えられる。
抗体は、体が病原体にさらされた結果としてリンパにおいて作られる蛋白の粒子である。
抗体の理論は、病原体に対する抗体の明白なところは、侵入してきた外来の蛋白(抗原)を攻撃することによって、その蛋白が病気を作り出すのを無効にすることであるだろうということを、提示する。

“titer count”は、血中に循環している抗体の量を測ることである。
抗体の理論では、高いタイター量では、その人は病気に対する免疫をもっていて、低いタイター量は、
その人はまだ病気に感染しやすいことを示している。

最も重要なことは、完全に効果的な状態にある免疫応答は、食べ物に繋がるきれいな血流によって特性づけられる。病原体に対する免疫は、抗体の生産をしているかもしれない、していないかもしれない、細胞の複雑な反応に依っている。
titer試験は、免疫機構の反応のただ一つの面を測定するだけだ。
ウィルス性の病気の免疫の絶対必要なものは、ウィルスの記憶を持っている細胞であることを考慮することだ。記憶細胞の、質的な、性質的なテストはない。
記憶細胞は、それが記憶している病原体由来の感染病に急派される抗体を作り出す免疫機構を刺激するものであえる。
記憶細胞は、抗体を作り続けるためにワクチンの形で思い出すものは、必要ない(ワクチンは必要ない)。

メディカルサイエンス(医療科学)は、自然に病気に罹った人のタイター量の平均が、免疫があると判定できる抗体の量であると考えている。
しかし、高い抗体量の人は、病気を起こす環境に再び曝されると、病気の症状を発現することが、示された。

さらに、今まで罹ったこともないし、ワクチンも打ったことのない人が、その病気のウィルスに曝されても、病気の症状を出さない人が多くいる。たとえば、B型肝炎に曝された人の10%以下しか、症状を出さない。しかしながら、病気の影響を受けない人にも、暴露が起こったことを証明する、抗体が現れるはずだ。
次の、事実は1940年代後半に、イギリスの研究所で発見された。

・ジフテリアの高いタイター量の人は、タイター量のゼロか低い人と同じように等しく症状を発症する。

・付け加えて、ジフテリアから治癒したある人は、ふたたび暴露した時に、免疫を示すのにかかわらず、抗体を作れない。

次のことは、注目に値する。抗体の理論に基づけば、高い抗体量のレベルになる時は、急性の感染症と闘っているときだけである。
多くの医者や、健康研究者の研究から、血中の高い抗体量のレベルは、病気に対する免疫には、何の関係もないことは、明らかである。

Dr.TeddKorは、「我々が、ワクチンのペーパーを読む時はいつでもMD研究者は、いつも、もし高いレベルの抗体量であれば、免疫(免疫原)があると推測する。」と主張する。
しかし、抗体のレベルと免疫は同じものでしょうか? いいえ!
抗体レベルは、免疫と同じではない。
最近の、スイスでなされた、おたふくかぜワクチンの大失敗は、このことを再強調する。
三種類のおたふくかぜのワクチン、Rubini,Jeryl-Lynn,Urabe(脳炎を起こして回収されたひとつ)は、すべてすばらしいレベル量の抗体を作ったが、しかし、Rubini系統のこれらのワクチンは、ワクチンをぜんぜんしていない人達と同じ罹患率であり、ある人達は「それらが、確実に流行を作った。」と言った。

Trevor Gunnによれば、「多くのはしかワクチン効果の研究は、抗体反応を刺激する能力に依存している(血清変換か、血清反応)。
一つの抗体反応は、免疫と等しいとみなす必要はない。
効果的な免疫に必要な抗体の量は個人のよって違う。免疫は、抗体量が低いか測定不能の少量でも、現れる人がいる。同じように、高いレベルの抗体量でも、免疫のない人達がいる。したがって我々は、そのことについてはっきりとしていなければならない。もし、どの程度の抗体の量が免疫と等しいのかわからないのに、特定の個人にそのワクチンが効果的かどうか知ることがどのようにしてできるのだろうか?」

Dr. JohnMarchの場合「特にウィルスの病気の場合は、細胞の免疫反応がすべての重要なことであって、抗体の量とか、保護力は、全く関係ない。」

Raymond Obomsawin,MDの本には、
予期しない、説明不能の、予防注射をした人達の間で起こっている急性の感染症の流行において、主流の科学者達が、真剣に疑問を呈しだした。信頼できる免疫を構成するものについての理解は、実際根拠があるかどうか?
たとえば、NewEngladJournal of Medicineの記事を書いている科学者グループは、病気に対する免疫の立場は、人工的なワクチンとか血清学のような要素ではなく、もっと広い、生物の生態学的疑問であることの証拠を提供した。彼らの、略式の結論では。
免疫があるかその不在は、病気の歴史、免疫の歴史、または優先する血清学の決定にさえ依拠して決定されえるものではない。ことを強調することは重要である。
そのような、科学的な考えの重大な変化にもかかわらず、病気に対する人間の免疫を強化する多様な要素についての組織的な研究の着手、次には、そのような発見を、直接基礎にした予防システムの構築は、残念ながら、わずかの実質的進展しかなされていない。
われわれが、まだ次のような基本的な疑問を掲げなければならないのは、皮肉なことだ。
どうして医学的研究は、われわれの免疫機構を弱くしている環境的要素や、生活的要素に焦点を合わせないのか?それは、あまりにも単純で、平凡で、ドラマチックでない?それとも、それはあまりにも既得権益への関心を脅すから?
免疫は、抗体や記憶細胞から来ないのははっきりしている。
しかし、記憶細胞はもっと大きな健康を守る過程の小さな部分の役割を演じているかもしれないが。
もし、人が健康であれば、初めてウィルスに曝されても必然的な結果として病気にはならない。
実際、はじめて曝された大部分の人は、何も症状を出さず、暴露した証拠として抗体を結果として作るだけだ。また、暴露以前にすでに免疫があったということも証明する。
体全体の健康が唯一の免疫である。
免疫は、記憶細胞から来るという概念は、にもかかわらず価値がある。圧縮機での接種(ワクチン接種)は完全に不必要だという観点で。
体全体の健康が免疫であることを知っているのは、予防接種が、必要でなく、効果もないことを理解するための基本的な鍵となる。
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